2022年 06月 08日
第14回控訴審期日の報告です! |
6月8日は、大阪高裁で京都訴訟の控訴審第14回でした。
開廷前の12時半から原告と支援者が淀屋橋南詰(東側)に集まり、傍聴を呼びかけるチラシ撒きと「公正な判決を求める署名」を集めました。そのあと原告と大阪高裁別館の前に集合していた支援者の方で第12民事部の書記官室に第3次分の署名を提出しました。


今回提出したのは、5291筆。その半分以上の2867筆が関西よつば連絡会が宅配会員から集めていただいたものでした。これで大阪高裁に提出した署名の累計は1万筆を超えました。

そのあと入廷行進に移りましたが、裁判所の正門前ではたくさんの支援者の方たちが迎えてくれました。
これまで新型コロナ感染症の影響で制限されていた傍聴席が解禁となり、この日は記者席と特別傍聴席を除く81席が使えることになりました。直前の解禁で、十分周知もできなかったこともあり、残念ながら抽選にはなりませんでしたが、約9割にあたる71名が傍聴しました。お蔭で、いつもは一般傍聴者に譲って傍聴席に入ったことのないスタッフは「初めて傍聴席で聞けた」と喜んでいました。

◆原告の意見陳述
法廷では、原発事故当時未成年だったAさんが意見陳述を行ないました。重要だと思われる箇所を抜粋します。

・京都で歴史を勉強し、いずれ地元に帰るつもりで大学生活への準備をしていた時に、福島第一原子力発電所の事故を経験しました。
・近所の人々、親戚、友人は次々と避難し、その人達から「何故避難しないのか」と電話で言われました。
・やがて、余震と見えない放射性物質の恐怖から、妹がとうとう体調不良を訴えはじめ、今は亡き祖母も連れての避難を、私の父母は決めました。区域外・自主的避難者と呼ばれても、この時の両親の決断を、私は今でもありがたく思っています。
・ホールボディカウンターの検査を終え、その日初めて会った医師に、「何の問題もありません。結婚して健康な赤ちゃんを産んで、幸せになる事ができます」と突然言われ、放射能が人体に及ぼす影響は甚大である事を改めて痛感し、かえって母体としての自分を否定するようになりました。
(Aさんは、意見陳述の中で、原告に名を連ねる子ども達や父母らが原告となっている子ども達の声を紹介しました。その中に、「避難をするのは絶対に嫌だった。私の生活全てをめちゃくちゃにされた。勝手に避難を進めた家族を今でも許せない」と語った子どもがいたと言います。)
・本当は家族に避難を選択させた東京電力や国がいけないのに、どうして、大切な家族に対して、こんな思いを持たされてしまうのでしょう。
・今、心の中にこだまするのは、唱歌「ふるさと」の一節です。
「志を果たしていつの日にか帰らん 山はあおきふるさと 水は清きふるさと」
・原発による更なる被ばく者がなくなることを心から願い(ます)。
意見陳述が終わると傍聴席から大きな拍手が起こりました。
続いて、弁護団が2つのプレゼンを行ないました。以下、その要旨を事務局の責任でまとめました。
◆「避難の相当性」判断と「最適の原則」(鈴木順子弁護士)
ICRP(国際放射線防護委員会)が策定する放射線防護の施策は、「最適化の原則」を基礎としている。その原則については勧告のたびに変遷しているが、1986年3月に行なわれた国際原子力機関(IAEA)と経済協力開発機構(OECD)の原子力機関(NEA)による「放射線防護の最適化」をテーマとしたシンポジウムを経て大きく転換した。
それ以前は、個人の被ばく量を推奨される線量限度に抑えるために必要な防護のコストには制限がないとしていた。ところが先のシンポジウムでの考え方は、放射線防護に要する費用も健康被害(に伴う医療費か)もすべて金銭評価し、防護費用+健康被害に伴う費用が最小化する放射線量を許容するというものだった。
こうした考え方をベースにチェルノブイリ原発事故以降、ICRPは「現存被ばく状況」(原発事故などで実際に被ばくが生じている状況)では線量限度は適用されないと主張するようになった。その結果、同じ国の中で、占領限度が厳格に守られている住民と線量限度の適用を排除され、「費用便益分析」の観点から高線量の被ばくを余儀なくされる住民との分断されることになった。
国や東電も「低線量被ばくによる健康影響は確認されていない」と主張するが、低線量被ばくによる「健康影響のリスク」まで否定することはできない。
ICRP勧告に基づいて原告への賠償を拒むことは、原因(原発事故)を作り出した東電とそれに大きく寄与した国のコストと原告の「被ばくによる健康影響のリスク」というコストとを天秤にかけ、落ち度の全くない原告ら住民に多大なコストを転嫁することになる。
公害問題に詳しく、環境経済学の第一人者である宮本憲一氏は、絶対的損失(人の健康障害や自然の再生産条件の復旧不能な破壊)については賠償するという補償原理では社会的公平が達成できないと指摘している。絶対的不可逆的損失が生じる可能性があれば、プロジェクトは変更または中止すべきである。ICRPが費用便益分析を採用したことは、人の健康という絶対的不可逆的損失を生じる可能性があることを無視して、すべてを金銭換算しようとする点からも間違っている。
◆国・東電の重過失(森田基彦弁護士)
国・東電には単なる過失を超えて重過失があったことを主張する。
2006年5月11日、第3回溢水勉強会において東電は、福島第一原発5号機の敷地高を超える津波が生じた場合には、海水が浸水し、非常用海水ポンプが使用不能に陥ること、電源設備の機能を喪失する(全電源喪失)可能性があること等を報告した。
JNES(原子力安全基盤機構)の蛯沢部長の「結局どうなるの」との「質問に「炉心溶融です」と答えている。
この報告を受けて、保安院は同年6月に現地視察を行ない、福島第一原発が津波に対して脆弱であることを認識していた。
東電は、地震本部の「長期評価」発表(2002年7月31日)当初は、長期評価の見解を否定する「技術的、科学的説明」が不可能だとして、長期評価を確定論的に取り入れるべきことを強く主張していた。
ところが、2008年3月18日に東電設計から長期評価に基づく津波高の報告が伝えられ、タービン建屋が設置された10メートル盤を大きく超えて浸水することが判明すると態度が一変する。
同年8月6日の電力4社との会合で配布した資料には、「推本(地震本部のこと)見解を否定することは不可能」とする一方、「簡単に採用する訳にも行かず、慎重な対応が必要である」と記載されている。
東電は同年12月10新に阿部勝征・東京大学名誉教授と面談しているが、阿部氏から「福島沖から茨城沖でも起こることが否定できず、どこでも発生する可能性がある」と言われ、浜岡原発で実施した津波対策(壁の設置、水密化等)を「参考に調べておくと良い」とアドバイスされている。
以上のように、東電は長期評価が当時の最良のエビデンスであることを認識しながら、津波対策に莫大な費用がかかり、かつ、津波対策を行なわないことによる原発の稼働停止をおそれ、そのエビデンスを排斥するよう他事業者や学者等に根回しを行なっていた。これは重過失に該当する。
国も福島第一原発が津波に脆弱であることを認識しながら、津波バックチェックにおいて長期評価を採用するよう指示することなく、事故を招いた。これも重過失に該当する。
阿部教授は、刑事事件の供述調書で本件事故について「東北地方太平洋地震発生前の当時においても、様々な対策を講じることはできたと思っております。ですから私としては、東京電力がこのような対策を講じる費用等を出し惜しんだのではないかという思いがあり、遺憾に思っております」と述べている。
この日で、原告側の主張はいったん終わり、国や東電の反論を待って、再反論を行なうことになります。次回はすでにご案内のとおり9月9日(金)、12月7日(水)のいずれも14時30分開廷と決まりました。
by shien_kyoto
| 2022-06-08 23:00
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