2021年 03月 18日
控訴審(大阪高裁)第9回期日・記者会見の報告 |
【予想に反して抽選に】
3月18日、原発賠償京都訴訟の控訴審第9回口頭弁論が開かれました。緊急事態宣言が解除されたとはいえ、変異ウイルスが増加している中で、「ぜひ傍聴に来てください」という宣伝を控え、今回は抽選になることはあまり期待をしていませんでした。
ところが、雲一つない晴天と暖かい気温に誘われたのか、傍聴席35席に対して43名が並ぶという予想していない事態となり、スタッフを含め8名が模擬法廷に回ることになりました。今回出廷した原告は、福島県への帰還者を含め7名でした。
法廷では、原告を代表して福島敦子さんと萩原ゆきみさんが意見陳述を行ないました。陳述内容については、支援する会のホームページや会報「原告と共に」に掲載しますので、そちらでご覧ください。
*原告意見陳述はこちら
そのあと、原告側の準備書面に沿ってプレゼンが行なわれました。その内容については、長文になるので、別途報告したいと思います。
【記者会見の様子】
今回は、通常の報告集会ではなく、記者会見という形で設定しました。ただ、会場に参加したのが1社、オンラインで参加したのが4社、ジャーナリストが1名という状況でした。
田辺弁護士の司会のもと、最初に川中弁護団長のあいさつ、田辺弁護士による京都訴訟の概要と現在の争点などの報告があった後、原告団共同代表の堀江みゆきさんが、「東日本大震災・原発事故から10年を迎えての声明文」(2021年3月11日、原発賠償訴訟京都原告団)を読み上げました。
その後、7名の原告が一人ずつ自分の思いを語りました。今回、一番参加者の胸を打ったのは、福島に帰還された原告Kさんの話でした。
「福島に住んでいると、裁判をしていることを回りに言えません。「避難した人」という括りに入っています。私は2011年に大阪に避難して、2012年から2015年まで京都にいました。商売をたたまざるを得なくなって避難しましたが、こちらの原告のみなさんは母子避難の方が多かったので孤立した気持ちになってしまって…。福島に戻って5年になりますが、戻ったら戻ったで、だいたいの人は暖かく迎えてくれたんですが、一部の人からは「落ち着いてから戻ってきた人はいいよね」みたいなことを言われたり、「私も避難したかった」という思いをぶつけられたり、地元の人を刺激する存在に自分がなっていることに苦しみました。
福島にいなかった5年間の空白。もう一度自分の生活を立て直さなくちゃいけない大変さとか、福島に住み続けていた人たちは一歩一歩助け合って歩いてきたかも知れないけど、私は以前の信頼を取り戻さなくちゃいけなくて、それが本当に大変で。 福島では、2月13日の地震で、また当時の恐怖や憤りを思い出す人がとても多くて、職場でもおとなしくて原発事故のことなんか言わなかった人が、「いやあ、原発どうなるかと思った」「福島の電気じゃないのに、なんでこんなに悩まなくちゃならないの」って、その人が言いました。「ああ、このおとなしい方もずっとそういう気持ちで福島で暮らしてきたんだね」って思いました。
今とにかく、私のメンタルはぼろぼろで、苦しくてたまらない。悔しくて悔しくてたまらないです。一審で私に提示されている金額って20万円くらいです。10年で20万円でごまかすなよって。本当に苦しい10年だったんです。 私が今日出て来られたのは、支援する皆さま方のカンパのお蔭です。支援者のみなさま、弁護士の先生方に感謝しています。そして闘い続けている、京都に住む原告の皆さんにも感謝しています。今後も福島に注目してください。」
Kさんの話は、避難したのち帰還された人たちが置かれている厳しい立場が本音で語られていて、感想アンケートに「胸を打たれた」「胸がつまった」と書かれた方が多く居ました。
【感想アンケートから】
1 原告意見陳述・プレゼンについて
・3人の弁護士様と2人の原告の方のお話しに、そのひとつひとつに引き込まれての1時間でした。弁護士様のお話は、何の知識もない私には難しかったですが、帰宅してからじっくり読み返してみます。
・原告の意見陳述を聞かせて頂き、改めて避難の大変さを痛感いたしました。
・原告の福島さんの陳述、萩原さんの陳述も事故から10年を経た今の気持がこもった迫力一杯で法廷を圧倒しました。弁護団の陳述も、理路整然と科学的に被害の実態と避難の正当性を説き、特に白土先生の東電、国への反論は、原告の思いと一体になった怒りをあらわに陳述していて、励まされました。
・意見陳述を聞いて、京都地裁での多くの人の発言を思い出し、また心が痛みました。コミュニティ・心をつぶしておきながら、裁判を続ける東電・国に怒りが収まらなかった。
・最近新聞で東電はADRを拒否していることが報道されていました。これまでの裁判や今日の意見陳述でも、これまで公知の事実としてみとめられてきた事、新たに明らかになったことがあるにもかかわらずです。今日の裁判で原告の方々は、私達の為にもたたかっておられると新たな思いをもちました。
・高木先生、白土先生の弁論はわかりやすく、特に白土先生はとても良かったです。
・今日は傍聴券をもらって中へ入れました。被災者の法廷での証言が裁判官の正当な判断に届くように願っています。初期内部被ばくについて認められることが今後の健康について大切なことと解る、今日の法廷でした。なかなか認められにくくても、頑張ってほしいです。放射能被害について学習していきたいです。
・原告のお話は胸が詰まります。これからも色々な分断を乗り越えていくのは容易ではないですが、つながれる所からつながってパワーを取り戻し、安心して暮らせる社会を共につくっていけたら有り難いし、嬉しいです。これからも、よろしくお願いします。
・法廷での原告の陳述、素晴らしかったです。あの言葉を裁判官はどう受け止め、これから審議していくのか、目を光らせておきたいと思います。弁護団の陳述も分かりやすく力が入っていました。見える化したいです。報告集会では福島に帰られた原告の声が胸につまりました。それらを受け止め、これからも発信し続けたいと思います。
・メディアに顔出しされなかった方の発言がものすごかったです。日常がおびやかされていることがよくわかりました。ありがとうございました。
2 原告への応援メッセージ
・昨年11月に堀江みゆき様に私たちの小さな会合に講師としておいでいただいた事で、初めて原発問題が身近なものとなりました。今まで他人事であった自身を反省しました。微力ですが支援する仲間に入れていただきたいと思います。よろしくお願いいたします。
・長い戦いになっていますが、一緒に頑張りましょう。
・福島に戻った原告さんの涙ながらのお話は、ほんとうに胸を打たれました。たいした支援もできませんが、どうぞ心ないことばにくじけず、多くの人たちは避難を正しいと思っています。世論は必ず味方につきます。正義と真実は私たちにあります。ともにがんばりましょう。
・事故も被害も広がり続けています。市民みんなが自分の事として応援する必要があると思います。ほんのわずかな苦労でも分かちあえたらと頑張ります
・長い闘いにお体にくれぐれも気をつけて下さい。共にがんばります。
・自分の事として毎日を生きていかなければと思います。大阪で裁判が行なわれるようになって足がとおくなってしまい、申し訳ありません。Zoom等の会合にも参加します。
・メディアでは10年ひと区切りにされますが、本当に一日一日大変な日々を乗り越えて来られたと思います。自分も東京で暮らし東電の電気を使い、東京から避難しました。国も東電もきちんと責任を取るよう、共に闘っていきましょう!!
・辛い日々がこれ以上続かないことを祈っております。国が自信を過去のものにしようとしても、ぼくは覚えています。
・福島に帰られたKさんへ。あまり苦しい報告に涙しました。よく出て来られました。うまく声を上げることで強くなって下さい。私も同じです。私はフクシマとつながる演劇(「月桃の花」歌舞団)をしています。フクシマからも発信なさって下さい。
・おだやかな表情の奥にどれだけ多くの涙があることか。原告の皆さんにお会いすると胸がつまります。人間を信じ、未来を信じて進みましょう。
・皆さんの言葉の1つひとつを受け止めています。ともにたたかっていきたいです。
by shien_kyoto
| 2021-03-18 23:59
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