2016年 12月 20日
12月14日原告本人尋問を傍聴しての感想 |
原発賠償京都訴訟
12月14日原告本人尋問を傍聴しての感想
2016年12月17日
支援する会共同代表 平 信行
12月14日本人尋問に応えられた原告の皆様、お疲れ様でした。
本人尋問の目的は言うまでもなく、避難することの急迫性、正当性を一人ひとりの具体的事実に基づいて明らかにし、公正な判決を求めていくことにありますが、今回の4人の原告のみなさんの証言は訴えられる内容がとても分りやすく、迫真に迫るもので、傍聴席で聞く私たちの胸も深く打つものでした。
本人尋問通じて私が特に印象深く感じたことは次の4点です。
1.原発事故発生時の、本来頼るべき行政や東京電力からの情報がまったく信頼できるものでなく、住民のみなさんが自らの判断と決断で行動せざるを得なかった実情があらためて鮮明にされました。
SPEEDIの報道を知って放射性物質の拡散と同じ方向に逃げたことを悔やんだこと、第2、第3号機の爆発で死ぬことをも覚悟したこと等々、緊迫した状況の中で人々は正確な事態の知らされないまま翻弄され続けたことがあらためて明らかにされました。市役所に問い合わせても「ここは茨城県だ」と突き放されたり、市の広報車はひたすら「安全です」と連呼するだけだったなどという北茨城市の実態は、当時の行政が如何に無能で無責任であったかを如実に示す証言でした。“棄民”に等しい対応だったのだと思います。そして今も、行政も東電も対応はその延長線上にあって大して変わらない状態であることをいくつもの事実に基づいて示されました。
2.困難で混乱した状況下でも、4人の原告のみなさんは普通の人たちよりは放射線に対する認識を強く持ち、また「我が子を守る」鋭い感性があって、不安を行動に変えることができた人たちだったのではないかと思いました。
チェルノブイリ原発事故のことを直ちに想起して同様の心配をした人、子どもが夏の保養プログラムに参加して生気を取り戻し、その効果を知って福島がもはや当たり前の環境ではないことに気付き避難を決意した人、インターネットで本当に信用できるサイトを自ら探し出していった人、土壌汚染だけでなく待機の汚染を知ってもはや逃げるしかないと決意した人と。
原告のみなさんそれぞれは、我が子、我が家族を守るために必死の行動だったと思いますが、そのことがsくなくない人たちに影響を与え、行動を促し、励まし、今こうして集団提訴に至るまでの起動力になっていることを思います。そして福島第一原発事故被災者だけでなく、日本中の人々に原発事故対応について多くのことを教えています。
3.家族揃った幸せな暮らしが断たれている苦悩、様々な苦労、困難を抱えながら、また望郷の念にもかられながら、それでも原告のみなさんは避難生活を続け、問題の抜本的解決を求めて行動しています。その力はやはり放射能に対する正確な認識と家族への本当の深い愛情が源なのだと痛感しました。
南相馬の除染も家屋の敷地周辺だけで一歩踏み出せば高い線量のままである、福島市内でも高い線量箇所がいくつも存在しているなど故郷の放射能事情を今も正確に把握する努力が続けられています。放射能被ばくの影響による家族の健康状況、症状、変化は詳細に把握され、福島県民健康調査だけではなく独自に甲状腺検査を受診している例なども話されました。妥協をしない、屈しない、人として当たり前に生きる姿勢を崩さない、そのための努力と継続した行動、強い意志に私たちの方が励まされます。
4.東電、国側代理人からの反対尋問はいくつかの特徴がありましたが、その中で、「あなたの親、家族は避難していないではないか」あるいは「あなたの地域からはあなたの家族以外誰も避難していないではないか」などと、避難は稀な行動なのだと印象づけようとする尋問が共通して行なわれました。
これに対して福島さんの述べた回答(反論)がとても的確だったと思います。それは、(福島の人々の間で)放射能の持つ危険性・リスクに対する認識の違いはある、しかしそれは放射能について正しく教育されてこなかったからだ、情報も正しく機敏に公開されることはなかった、むしろ往々にして隠蔽され、報道も正しくされてこなかった、今また「20mSvは大丈夫」などと国家基準が平然とダブルスタンダードにされてきている、そのために人々に認識の違いが生まれ、福島の人々はバラバラにされてきているのだ、というものでした。本質を鋭く突いた、国や東電の責任をこそ厳しく指摘する証言だったと思います。
東電や国の反対尋問は被害額の算定や細かい事実認定に終始した内容が多かったように思います。それもあまりしつこく問いつめるようなものではありませんでした。私の勝手な憶測ですが、最終準備書面でどう書くかを想定しながら、その材料を探しながら質問しているような印象でした。
原発賠償訴訟を勝利していくためには、極めて当たり前のことですが、放射能による被ばくの危険性と実態、避難の必要性と正当性を、一人でも多くの人々が正しく理解していくことが不可欠の要件になってくると思います。人々の間に生じている認識の違い、認識の差は国や東電の不当な対応と行為によってもたらされているものですが、それを私たち自身の力によって取り戻していかなければならない。その努力を私たちは惜しむわけにはいかないのだと思います。
そのためには、一般論だけではなく、現に避難して闘っているみなさんの実際の姿、具体的な実例こそが本当に力になると思います。事故発生当時、無策、無責任な対応によって人々は如何に放射性物質の下に晒されてきたのか、自らの意志と決意で避難するに至った状況と理由は何だったのか、今も避難を続けなければならない被災地の状況は本当はどれほど深刻なものであるのか等々を原告のみなさん一人ひとりの思いと実例で明らかにし、幅広い人たちと共有していくことが、これからも一層望まれると思います。形はどのようなものであれ。
もちろん個人情報などプライバシーの保護には十二分に配慮し、ご本人の同意の上で行なわれるようにすることは言うまでもありません。
東京オリンピックの看板を押し立てて、その陰で深刻な放射能汚染、被害の実態を覆い隠し、抑圧しようとしているのが被災地の現状でしょう。この状況を転換し、被災者の完全救済の展望を切り開く2017年にしていきたいと思います。
以上
12月14日原告本人尋問を傍聴しての感想
2016年12月17日
支援する会共同代表 平 信行
12月14日本人尋問に応えられた原告の皆様、お疲れ様でした。
本人尋問の目的は言うまでもなく、避難することの急迫性、正当性を一人ひとりの具体的事実に基づいて明らかにし、公正な判決を求めていくことにありますが、今回の4人の原告のみなさんの証言は訴えられる内容がとても分りやすく、迫真に迫るもので、傍聴席で聞く私たちの胸も深く打つものでした。
本人尋問通じて私が特に印象深く感じたことは次の4点です。
1.原発事故発生時の、本来頼るべき行政や東京電力からの情報がまったく信頼できるものでなく、住民のみなさんが自らの判断と決断で行動せざるを得なかった実情があらためて鮮明にされました。
SPEEDIの報道を知って放射性物質の拡散と同じ方向に逃げたことを悔やんだこと、第2、第3号機の爆発で死ぬことをも覚悟したこと等々、緊迫した状況の中で人々は正確な事態の知らされないまま翻弄され続けたことがあらためて明らかにされました。市役所に問い合わせても「ここは茨城県だ」と突き放されたり、市の広報車はひたすら「安全です」と連呼するだけだったなどという北茨城市の実態は、当時の行政が如何に無能で無責任であったかを如実に示す証言でした。“棄民”に等しい対応だったのだと思います。そして今も、行政も東電も対応はその延長線上にあって大して変わらない状態であることをいくつもの事実に基づいて示されました。
2.困難で混乱した状況下でも、4人の原告のみなさんは普通の人たちよりは放射線に対する認識を強く持ち、また「我が子を守る」鋭い感性があって、不安を行動に変えることができた人たちだったのではないかと思いました。
チェルノブイリ原発事故のことを直ちに想起して同様の心配をした人、子どもが夏の保養プログラムに参加して生気を取り戻し、その効果を知って福島がもはや当たり前の環境ではないことに気付き避難を決意した人、インターネットで本当に信用できるサイトを自ら探し出していった人、土壌汚染だけでなく待機の汚染を知ってもはや逃げるしかないと決意した人と。
原告のみなさんそれぞれは、我が子、我が家族を守るために必死の行動だったと思いますが、そのことがsくなくない人たちに影響を与え、行動を促し、励まし、今こうして集団提訴に至るまでの起動力になっていることを思います。そして福島第一原発事故被災者だけでなく、日本中の人々に原発事故対応について多くのことを教えています。
3.家族揃った幸せな暮らしが断たれている苦悩、様々な苦労、困難を抱えながら、また望郷の念にもかられながら、それでも原告のみなさんは避難生活を続け、問題の抜本的解決を求めて行動しています。その力はやはり放射能に対する正確な認識と家族への本当の深い愛情が源なのだと痛感しました。
南相馬の除染も家屋の敷地周辺だけで一歩踏み出せば高い線量のままである、福島市内でも高い線量箇所がいくつも存在しているなど故郷の放射能事情を今も正確に把握する努力が続けられています。放射能被ばくの影響による家族の健康状況、症状、変化は詳細に把握され、福島県民健康調査だけではなく独自に甲状腺検査を受診している例なども話されました。妥協をしない、屈しない、人として当たり前に生きる姿勢を崩さない、そのための努力と継続した行動、強い意志に私たちの方が励まされます。
4.東電、国側代理人からの反対尋問はいくつかの特徴がありましたが、その中で、「あなたの親、家族は避難していないではないか」あるいは「あなたの地域からはあなたの家族以外誰も避難していないではないか」などと、避難は稀な行動なのだと印象づけようとする尋問が共通して行なわれました。
これに対して福島さんの述べた回答(反論)がとても的確だったと思います。それは、(福島の人々の間で)放射能の持つ危険性・リスクに対する認識の違いはある、しかしそれは放射能について正しく教育されてこなかったからだ、情報も正しく機敏に公開されることはなかった、むしろ往々にして隠蔽され、報道も正しくされてこなかった、今また「20mSvは大丈夫」などと国家基準が平然とダブルスタンダードにされてきている、そのために人々に認識の違いが生まれ、福島の人々はバラバラにされてきているのだ、というものでした。本質を鋭く突いた、国や東電の責任をこそ厳しく指摘する証言だったと思います。
東電や国の反対尋問は被害額の算定や細かい事実認定に終始した内容が多かったように思います。それもあまりしつこく問いつめるようなものではありませんでした。私の勝手な憶測ですが、最終準備書面でどう書くかを想定しながら、その材料を探しながら質問しているような印象でした。
原発賠償訴訟を勝利していくためには、極めて当たり前のことですが、放射能による被ばくの危険性と実態、避難の必要性と正当性を、一人でも多くの人々が正しく理解していくことが不可欠の要件になってくると思います。人々の間に生じている認識の違い、認識の差は国や東電の不当な対応と行為によってもたらされているものですが、それを私たち自身の力によって取り戻していかなければならない。その努力を私たちは惜しむわけにはいかないのだと思います。
そのためには、一般論だけではなく、現に避難して闘っているみなさんの実際の姿、具体的な実例こそが本当に力になると思います。事故発生当時、無策、無責任な対応によって人々は如何に放射性物質の下に晒されてきたのか、自らの意志と決意で避難するに至った状況と理由は何だったのか、今も避難を続けなければならない被災地の状況は本当はどれほど深刻なものであるのか等々を原告のみなさん一人ひとりの思いと実例で明らかにし、幅広い人たちと共有していくことが、これからも一層望まれると思います。形はどのようなものであれ。
もちろん個人情報などプライバシーの保護には十二分に配慮し、ご本人の同意の上で行なわれるようにすることは言うまでもありません。
東京オリンピックの看板を押し立てて、その陰で深刻な放射能汚染、被害の実態を覆い隠し、抑圧しようとしているのが被災地の現状でしょう。この状況を転換し、被災者の完全救済の展望を切り開く2017年にしていきたいと思います。
以上
by shien_kyoto
| 2016-12-20 00:01
| 期日
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