2015年 07月 21日
第3次提訴&第9回期日(7月7日)の報告とお礼 |

第3次提訴 京都地裁まで行進

提訴後の記者会見

茨城県から避難している川崎さん
●原告・川﨑安弥子さんの発言
茨城県北茨城市より京都市に避難しております川﨑と申します。
2012年1月27日に避難してきました。避難当初は子ども3人と暮らしておりましたが、長男は地元でなければ暮らせないと心の葛藤の末体調を崩し、避難して1年10ヶ月後に帰郷してしまいました。
ここで、まず、北茨城市の位置と事故当時の放射能汚染状況を少しばかり述べさせていただきたいと思います。北茨城市は、茨城県の太平洋沿岸、福島県(いわき市)との県境にあります。自宅は、福島第一原発から68キロにあります。京都市と大飯原発の距離くらいでしょうか。
北茨城市の事故後放射線量の最大値は2011年3月16日午前11時40分、毎時15・8マイクロシーベルトでした。市庁舎前モニタリングの観測値です。これは、「年換算で138ミリシーベルトにも達する値」であり、また、「法律で定められた公衆被曝線量限度年間1ミリシーベルト」をはるかに超えていました。同年12月には、環境省により汚染状況重点調査地域に指定されています。
また、アメリカ国家核安全保障局による大気中のダスト分析データには、同年3月23日午前2時43分、ヨウ素131は、160・04ベクレル/立方メートル及び126・43ベクレル/立方メートル、アルファ線総計1・45ベクレル/立方メートル、ベータ線総計1520・99ベクレル/立方メートルとありました。
これらのデータを検索していた時の私の思いは、「避難しなくてもいい、安心なデータがほしい!」というものでした。安心したくて、安全を確かめたくてデータを検索する日々でした。ところが、情報を知れば知るほど、「ここにいてはいけない、まず、避難だ。それからまた考えればいい」という思いへと変わっていきました。そして、夫の反対を押し切って子連れで避難となりました。
この避難を実現できたのは、住宅支援があったからこそなのです。普通の引越しであれば、家族力を合わせて場所を決めたり、手続きをしたり、買い物をして準備ができます。
しかし、周りの反対を押し切っての避難というものは、家族や友人の一人ひとりに苦しみ悲しみをもたらすものでもあり、子どもたちの被曝に細心の注意を払う生活の中、口にしにくい放射能のことを説明して回り、家では、ひとり荷造りをする日々が続き、そしてようやく避難当日を迎えるのです。
心理的にも経済的にも切羽詰まった状況の中で、まだ仕事のない新しい土地に家族の反対を押し切って住宅を得るということは、支援がなければ、普通のサラリーマン家庭では非常に困難なことなのです。
誰ひとり知り合いのいない京都に避難して3年半の月日の中で、ようやく親子共々居場所ができ、地域の一員として前向きに生活することができるようになりました。子ども達は、もう転校したくないと言っており、私もまた、新しい土地でゼロから始めることは非常に厳しいと考えております。
2012年6月21日に衆議院本会議で全会一致で可決した「原発事故子ども・被災者支援法」は、国が、被曝した被災者に責任を持つと表明したものなのです。そこには、「被災者一人一人が、居住・移動・帰還の選択を自らの意思でできるよう国が適切な支援を行う」ことが理念とされています。
ところが、先月、自主避難者の住宅支援打ち切りという、選択の権利を奪い、避難者の命綱を切って帰還を促す施策が堂々とまかり通ってしまいました。
新たな復興加速化指針には居住制限・解除準備地域について、2017年3月末までに解除し、その1年後で賠償を打ち切ると書かれてあり、私達のような自主避難者の存在自体、あってはならないということなのでしょう。
国連人権理事会のグローバー勧告では、「子ども被災者支援法の基本方針を事故の影響を受けた住民や自治体とともに策定すること」や「汚染レベルを年間1ミリシーベルト未満に下げるために期間がきちんと明記された計画を早急に策定するよう」求められているにもかかわらず、人権無視の施策が続いています。
これまでも一方的な避難解除が行われてきました。はじめに原発再稼働、原発輸出ありきの経済最優先のこの国のあり方は、原発事故とそれに伴う放射能汚染がなかったものとし、事故の責任の所在を曖昧にし、
今ある命、未来の命を脅かすものです。
ここのところ、人権を踏みにじる憲法改正への動きもあり、この時期に提訴となったことで、人権を守る司法の力をよりいっそうかけがえのないものと感じております。
どうぞ、真実が明らかにされ、人権が尊重される世の中となりますよう、お力添えをお願い致します

福島市から避難している小林さん
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みなさま
事務局の上野と申します。7月7日の原爆賠償京都訴訟第9回口頭弁論の報告です。
雨の中、たくさんの方が傍聴に駆けつけてくださったことに感謝いたします。残念ながら、出足が悪く抽選にはなりませんでしたが、整理券配布時間が過ぎてからも続々と来場いただいたお蔭で、開廷時には満席に近い状態となりました。
今回は期日に合わせて第3次提訴行動が行われました。11世帯31名の新たな参加で、原告は計58世帯175名になりました(これまでの世帯数の数え方に間違いがあったようです)。そのうち5名の方が提訴行動に参加され、記者発表後、傍聴・期日報告会にも参加されました。
法廷では、原告側が4つの準備書面を提出し、そのうち2つについてプレゼンを行いました。
まず大江智子弁護士から、津波の予見可能性および結果回避可能性に関する弁論を行いました。その要点は、①2012年4月11日に原子力安全保安院の高島賢二・統括安全審査官が「津波の計算は非常に難しく…極端な場合には倍または半分があるものと認識していた」と述べ、現在でも気象庁のHPに「現在の津波予測技術では『予想される津波の高さ』の予想精度は1/2~2倍程度」と記載しているように、国は津波の予測には2倍の誤差を考慮すべきことを認識していた。
②東電は株主訴訟において、2008年4月に敷地南側(敷地高O.P+10m)での最大津波は.P+15.7mとなり、浸水深が約5.7mになるという試算結果を得ていたとの準備書面を提出した。また、東電は同年9月に社内向け説明資料で「現状より大きな津波高を評価せざるを得ないと想定され、津波対策は不可避である」と記載するなど、津波対策の必要性を認識していた。
③1999年に国交省は津波浸水予測図を作成しているが、津波高O.P+8.7mの場合には1~4号機すべてが浸水することが予測されている。
④このように敷地高を超える津波の到来は予測できたにもかかわらず、東電は津波対策を怠り、国は規制権限を行使しなかった。―というものでした。
次に、三上侑貴弁護士から因果関係論についての東電の準備書面に対する反論を行いました。その要点は、①東電は、東京地裁の裁判例(2013年10月25日)を自分たちの主張を補強するものとして引用しているが、2つの裁判は争点が違う。
②東京地裁の方は、原告が被ばくによって直ちに健康リスクが増加するという損害を受けたかどうかだが、本件は被ばく線量と避難することの間に因果関係があるかどうかが争点だ。
③日本においては、ICRPの1990年勧告についての審議に基づいて、刑罰を含む法的担保によって国民を年間1ミリシーベルトを超える被ばくから保護する法的整備がなされた。東京地裁では原告側がこうした点を主張していないため、本件の参考にはならない。
④東京地裁は受忍限度論によって判断しているが、そもそも受忍限度論は騒音、振動、日照妨害などの生活妨害が適法な権利行使によって生じているケースに適用されるものだ。放射性物質の外部放出は適法な権利行使ではなく、国内法で公衆被ばく限度が定められているのだから、受忍限度論を適用するのは誤っている。―というものでした。
期日報告会では、進行協議に参加した弁護団が帰ってくるまでの間、初めて試みでしたが、白石草監督の『チェルノブイリ 28年目の子どもたち』というDVDを上映しました。上映後、会場から「いまの映画で観たように、今後日本でもさまざまな健康障害が起こる可能性があるが、そういう問題についてどう対応していこうと考えているのか?」という趣旨の質問が出され、弁護団サイドからは「賠償訴訟は個々人の賠償をかちとるだけではなく、原発事故に対する政府・東電の責任を追及し、裁判に勝利することを通じて原発被害者に対する総合的な支援策を立案させることをめざしている」という趣旨の回答があり、支援する会からは「この間、原告や支援者間の横のつながりを作ってきたが、全国の被害者団体によるひだんれんという連絡会も結成され、政府を攻める陣形はできつつある」という補足発言がありました。
なお、会報にも載せましたが、フォトジャーナリズム月刊誌「DAYS JAPAN」7月号に、京都訴訟が取り上げられ、7名の原告の方の話も載っています。機会があれば、ぜひご購入ください。
次回期日は少し飛んで9月29日(火)です。次回からは、具体的損害の立証に入って行きます。原告の本人尋問では被告側からの厳しい反対尋問も予想されるため、事前の準備と共に傍聴席からの応援がいっそう重要になってきます。抽選になるほど多くの傍聴で、原告を支えていただきますようお願い致します。
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7月7日期日傍聴のご参加、ありがとうございました。共同代表、萩原・福島です!
傍聴席は、天候も影響してか9割程度の参加数だと思います。今回は、第3次提訴パレードもあり、雨の中、支援者の方々の拍手歓声に勇気をもらいつつ、一歩一歩3次原告さんと進みました。今回出席してくださった3次原告さんの5名の方に決意表明や、裁判参加への強い意識を挨拶いただき心強く思いました。
今回の弁論である、津波の予見の可能性についての国への反論。私福島が南相馬市で経験した通り、津波は這うものだということを丁寧に説明していたと考えていました。15m高の絶壁に建つ南相馬市の雫(しどけ)浄化センターは、13mの津波の被害で上司の車1台に職員が乗り合わせて、命からがら避難したと聞いていたからです。津波は這う。のです。また、因果関係論には、受忍限度論という文言が出てきます。判決の前例がいかに次の裁判に影響してくるのか。そういうことへの弁論でした。この裁判はよい前例にしなければ。詳しくは上野さんのまとめで!(それから、原告さんには、調書作成のお願いが後日弁護士さんからあります。よろしく対応のほど。)
期日報告会のDVD上映も好評でした。支援する会のみなさまのお知恵に感謝いたします。
皆様。ありがとうございました!次の期日(9月29日)も声を掛け合い、ぜひ参加しましょう!なお、7月30日は14時から関西訴訟があります。
さて、午後には、支援する会のみなさまと原告が約20人ほどで、府への住宅問題に対する交渉を行いました。2年後、私たちみなし仮設住宅に住む被災者は、優先枠の府の住宅へ移動することになりつつあります。(抽選あり)
翌日(8日)には、福島県・復興庁・京都府・京都市の職員が来る交流会が西本願寺でありました。この内容(参加してくださった避難者さんの声)は、おって別メールでお知らせいたします。ありがとうございました。
by shien_kyoto
| 2015-07-21 23:30
| 期日
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