2018年 01月 30日
全国総決起集会の報告と感想 |
みなさま
いつもともに行動してくださり心より感謝申し上げます。原告の福島です。
◎1月27日は、全国から訴訟団が集結し、午前中は原告団総会、午後からは、支援者による(ネットワークの)結成集会、そして京都、東京、いわきの3訴訟団の判決を前にした決起集会が行われました。福島県民の雰囲気がところどころ満載なほんわかしながらも、熱気のある会場でした。報告詳細は、すでに原告の園田さん、堀江さん、事務局の上野さんから届いていると思いますので、私は感想をお伝えいたしたく投稿します。
・当日の支援者結成集会では、今までの京都訴訟原告団を支援する会ならではのリーダーシップが発揮され、ブログの開設、世話人(を中心とした)支援者MLの立ち上げなどが奥森さんから提案されました。意見交換会では、「ブログはだれが立ち上げるんだ?まずは、話し合いの場を…」などの声も上がりましたが、今朝にはすでにご存じのとおり、京都の奥森事務局長らしく?早速立ち上げ、始動しております。有言実行。
・決起集会では、NHKの動画の冒頭にもありました、米倉弁護士から訴訟の意義や今後のことなどのお話があり、次のお題の決意表明は私たちの訴訟団から始まりました。9月29日のレセプションで披露されたリレートークの動画を流しながら、7分間の限られた時間の中でみなさまへの感謝を込めて、京都訴訟原告を代表し決意を表明させていただきました。全文は以下ののとおりです。
司会進行と、当日の宣言読み上げも担当し、京都訴訟団が全国のネットワークの中でも、重要な位置に置かれていることに誇りに思うとともに、次につなげる重要な判決であることに襟を正す時間でもありました。
・集会終了後の街頭での訴えも、雪の残る東京の風は冷たすぎましたが、私たち原告の熱い思いは道行く都会の人々が足を止めたり写真を撮っていたりと何かしら心に届いたのだと思います。田辺先生も、関西訴訟、兵庫訴訟の先生や原告さんも訴えました。田辺先生の、クールな面持ちの中にある強い思いに触れた東京での一コマでした。
これから、全国で大きな集団訴訟である「一歩」が踏み出されました。私たちも堂々と訴えていきますからこれからもともに歩んでくださいますように。
◎28日。結審や公聴会の取材をしてくださっている関テレの企画「ワークショップ~Draw Together」がありました。キエフ出身のアーティストマリアさんが来日、チェルノブイリ事故と福島の原発事故にあった子どもたちと一緒に絵を描きたい、理解し明るい未来に進んでいきたいという思いを込めたイベントでした。京都の原告さんと子どもたち、関西の原告さんと子どもたち総勢20名ほどの思いのこもった絵が完成し、みんなでわいわい楽しみました。子どもたちの15年後はどうなっているかな?というテーマの絵は本当にワクワクしました。萩原さんと私は単身で参加。対面でもくもくと一言も発せずに絵を描き続けました。写経のように。向島の3.11メモリアルキャンドルinむかいじまにて完成品は展示予定。
原告さんも支援してくださるみなさんもたくさんのスケジュールをこなしながら判決にむかって進んでいます。お互い体に気を付けて過ごしましょう。
ありがとうございます。
福島敦子
++++++++++++++++++++++++
「原発賠償京都訴訟団の判決を前に」
○原発賠償京都訴訟 原告団 共同代表福島敦子です。
私たちの訴訟団の判決が3月15日に迫りました。判決を前に、私たちのあゆみをご覧いただきながら、 決意をのべさせていただきたいと思います。
◎2013年9月17日
原発賠償京都訴訟原告団が33世帯91名で「第一次提訴」をし、2014年3月7日 「第二次提訴」で20世帯53名、2015年7月7日 第三次提訴で新たに11世帯31名が原告になりました。現在57世帯174名の原告がいます。
私たちの京都訴訟は、提訴からしばらくベビーカーをおした母子が多く裁判所へ詰めかけました。赤ちゃんまでもが原告であり、そのほとんどが自主避難者で構成されているのが特徴です。
裁判では、 国、 東電の加害責任を求め賠償させること、 事故の真相を究明させること、 そして、年間1ミリシーベルトの法定被ばく限度量を順守させ、少なくともその法定量を超える地域に住まう住民に対し 「避難の権利」 を認めさせることそして、子どもはもちろん原発事故被災者に対する恒久的な施策、 例えば医療保障、 雇用対策、 住宅の提供の再開などを国と東電に実施させることを目的としています。
2014年2月 7 日にあった 「第一回口頭弁論」。 私は、 目の前の3人の裁判官に向かって、「私たち原告一人一人の命とご自身の命で、 向き合ってください。」 と訴えました。
◎2013年10月に、 「京都原告団を支援する会」が結成されました。
「原発賠償訴訟を闘う原告・支援者全国交流会」が、大阪で開催された際、東京、神奈川、岡山、大阪、兵庫の訴訟団が集結したことは今日の盛大な集会につながる一歩だったと感じます。
また、「原発賠償近畿訴訟団交流会」が定期的に開催され、京都、大阪、ひょうご訴訟では「3都物語」として発展しています。
◎2016年末から約半年かけ、 原告全世帯の本人尋問が裁判官の意向により行われました。ふた月に3回の期日が敢行されるハードなスケジュールに、全国から傍聴に駆けつけ、毎回傍聴席は満杯、 そして本人尋問にたつ遠方からの証言原告の交通費補助のための「緊急カンパ」に多くの方の善意が集まったことなど、この訴訟を支えてくださるみなさまの大きな力により、 原告みながその気持ちを支えに証言台に立つことができたことに深く感謝します。
◎ちょうど1年前、 (1月27日) 第22回期日に専門家証人、 原告側は崎山比早子さんの主尋問、2月17日 第23回期日には専門家証人反対尋問が行われました。
崎山先生の尋問の内容は主に、被ばくに伴う発がん数や死亡率は被ばく線量に比例し「閾値」は存在しないこと、低線量被ばくでもリスクはありリスクを避けるために避難することは妥当な選択だということ、 そして、再主尋問での崎山先生は、 国連科学委員会アンスケアが、電力会社と密接な関係のICRP、IAEA、 との癒着を明言し、被告側のそうそうたる証人3 名のあまりにも整合性のない証言に対し、 「科学者とは進歩していくものである」 と切り捨てたところはまさに専門家証人尋問が極まった瞬間でした。
◎京都訴訟団の運動の一つに街頭署名活動があります。 英語・ 中国語でも訴え、 現在、 2万5000筆を超えました。
また、原告団手記集『私達の決断』を原告自らが編集し完成、発売しました。
もうすぐ2000部完売です。 (後ろのブースで販売中です。ぜひ、お買い求めください!)
○そして、 9月29日の結審。
福島県や神奈川、東京、名古屋など全国から応援に駆けつけてくださりありがとうございました。
本人尋問を終え、 これまでの道のりを再確認しながら今後続いていく訴訟団の皆さんと思いを共有しました。
◎秋には原告の園田さんが、スイスジュネーブの国連人権理事会において、避難者の権利を各国代表に訴えてまいりました。
翌月、オーストリア、ポルトガル、 ドイツ、メキシコから自主(的)避難者の支援策、年1ミリシーベルトの限度に戻すことなどの勧告が日本へ出されました。現在もこの東京にて、日本側へのロビーイングをしています。
○このように、 私たち京都訴訟団は、 皆さまと同様、 国と東電が風評被害と言いきる 「被ばく問題」 を司法に訴えてまいりました。
期日報告会では、 神奈川訴訟団の村田団長が神奈川県から足を運んでくださり長時間にわたり、原告へエールを送ってくださったこともありました。
こうした世界中からの幅広い支援と、多くの民意を取り込み、互いの訴訟団の連携を図りながら、本人尋問では全世帯原告が法廷に立ち、時には涙を流し、はっきりとそしてひるむことなく国と東電に対する 「断罪」 を強く訴えてまいりました。
原告のほとんどが自主避難者である京都訴訟団は、 「避難の権利」 の主張が認められるかどうかの重要な裁判であります。
3月15日。
私たちは、 京都地裁にて完全な勝利を勝ち取り、 今後も皆さまとともに共闘、 声を上げ、 この先の原発事故に対する終結に向け大きく邁進してまいりたいと思います。
10時開廷。
ぜひ、多くの皆様に駆けつけていただき、私たち京都訴訟団の「避難の権利」を勝ちとる瞬間を見届けていただきたいと思います。
ありがとうございました。
―その後、
弁護団田辺先生より、原告の堀江さん、 園田さん、 高木さん掲げる原告団バナーを背に発言
いつもともに行動してくださり心より感謝申し上げます。原告の福島です。
◎1月27日は、全国から訴訟団が集結し、午前中は原告団総会、午後からは、支援者による(ネットワークの)結成集会、そして京都、東京、いわきの3訴訟団の判決を前にした決起集会が行われました。福島県民の雰囲気がところどころ満載なほんわかしながらも、熱気のある会場でした。報告詳細は、すでに原告の園田さん、堀江さん、事務局の上野さんから届いていると思いますので、私は感想をお伝えいたしたく投稿します。
・当日の支援者結成集会では、今までの京都訴訟原告団を支援する会ならではのリーダーシップが発揮され、ブログの開設、世話人(を中心とした)支援者MLの立ち上げなどが奥森さんから提案されました。意見交換会では、「ブログはだれが立ち上げるんだ?まずは、話し合いの場を…」などの声も上がりましたが、今朝にはすでにご存じのとおり、京都の奥森事務局長らしく?早速立ち上げ、始動しております。有言実行。
・決起集会では、NHKの動画の冒頭にもありました、米倉弁護士から訴訟の意義や今後のことなどのお話があり、次のお題の決意表明は私たちの訴訟団から始まりました。9月29日のレセプションで披露されたリレートークの動画を流しながら、7分間の限られた時間の中でみなさまへの感謝を込めて、京都訴訟原告を代表し決意を表明させていただきました。全文は以下ののとおりです。
司会進行と、当日の宣言読み上げも担当し、京都訴訟団が全国のネットワークの中でも、重要な位置に置かれていることに誇りに思うとともに、次につなげる重要な判決であることに襟を正す時間でもありました。
・集会終了後の街頭での訴えも、雪の残る東京の風は冷たすぎましたが、私たち原告の熱い思いは道行く都会の人々が足を止めたり写真を撮っていたりと何かしら心に届いたのだと思います。田辺先生も、関西訴訟、兵庫訴訟の先生や原告さんも訴えました。田辺先生の、クールな面持ちの中にある強い思いに触れた東京での一コマでした。
これから、全国で大きな集団訴訟である「一歩」が踏み出されました。私たちも堂々と訴えていきますからこれからもともに歩んでくださいますように。
◎28日。結審や公聴会の取材をしてくださっている関テレの企画「ワークショップ~Draw Together」がありました。キエフ出身のアーティストマリアさんが来日、チェルノブイリ事故と福島の原発事故にあった子どもたちと一緒に絵を描きたい、理解し明るい未来に進んでいきたいという思いを込めたイベントでした。京都の原告さんと子どもたち、関西の原告さんと子どもたち総勢20名ほどの思いのこもった絵が完成し、みんなでわいわい楽しみました。子どもたちの15年後はどうなっているかな?というテーマの絵は本当にワクワクしました。萩原さんと私は単身で参加。対面でもくもくと一言も発せずに絵を描き続けました。写経のように。向島の3.11メモリアルキャンドルinむかいじまにて完成品は展示予定。
原告さんも支援してくださるみなさんもたくさんのスケジュールをこなしながら判決にむかって進んでいます。お互い体に気を付けて過ごしましょう。
ありがとうございます。
福島敦子
++++++++++++++++++++++++
「原発賠償京都訴訟団の判決を前に」
○原発賠償京都訴訟 原告団 共同代表福島敦子です。
私たちの訴訟団の判決が3月15日に迫りました。判決を前に、私たちのあゆみをご覧いただきながら、 決意をのべさせていただきたいと思います。
◎2013年9月17日
原発賠償京都訴訟原告団が33世帯91名で「第一次提訴」をし、2014年3月7日 「第二次提訴」で20世帯53名、2015年7月7日 第三次提訴で新たに11世帯31名が原告になりました。現在57世帯174名の原告がいます。
私たちの京都訴訟は、提訴からしばらくベビーカーをおした母子が多く裁判所へ詰めかけました。赤ちゃんまでもが原告であり、そのほとんどが自主避難者で構成されているのが特徴です。
裁判では、 国、 東電の加害責任を求め賠償させること、 事故の真相を究明させること、 そして、年間1ミリシーベルトの法定被ばく限度量を順守させ、少なくともその法定量を超える地域に住まう住民に対し 「避難の権利」 を認めさせることそして、子どもはもちろん原発事故被災者に対する恒久的な施策、 例えば医療保障、 雇用対策、 住宅の提供の再開などを国と東電に実施させることを目的としています。
2014年2月 7 日にあった 「第一回口頭弁論」。 私は、 目の前の3人の裁判官に向かって、「私たち原告一人一人の命とご自身の命で、 向き合ってください。」 と訴えました。
◎2013年10月に、 「京都原告団を支援する会」が結成されました。
「原発賠償訴訟を闘う原告・支援者全国交流会」が、大阪で開催された際、東京、神奈川、岡山、大阪、兵庫の訴訟団が集結したことは今日の盛大な集会につながる一歩だったと感じます。
また、「原発賠償近畿訴訟団交流会」が定期的に開催され、京都、大阪、ひょうご訴訟では「3都物語」として発展しています。
◎2016年末から約半年かけ、 原告全世帯の本人尋問が裁判官の意向により行われました。ふた月に3回の期日が敢行されるハードなスケジュールに、全国から傍聴に駆けつけ、毎回傍聴席は満杯、 そして本人尋問にたつ遠方からの証言原告の交通費補助のための「緊急カンパ」に多くの方の善意が集まったことなど、この訴訟を支えてくださるみなさまの大きな力により、 原告みながその気持ちを支えに証言台に立つことができたことに深く感謝します。
◎ちょうど1年前、 (1月27日) 第22回期日に専門家証人、 原告側は崎山比早子さんの主尋問、2月17日 第23回期日には専門家証人反対尋問が行われました。
崎山先生の尋問の内容は主に、被ばくに伴う発がん数や死亡率は被ばく線量に比例し「閾値」は存在しないこと、低線量被ばくでもリスクはありリスクを避けるために避難することは妥当な選択だということ、 そして、再主尋問での崎山先生は、 国連科学委員会アンスケアが、電力会社と密接な関係のICRP、IAEA、 との癒着を明言し、被告側のそうそうたる証人3 名のあまりにも整合性のない証言に対し、 「科学者とは進歩していくものである」 と切り捨てたところはまさに専門家証人尋問が極まった瞬間でした。
◎京都訴訟団の運動の一つに街頭署名活動があります。 英語・ 中国語でも訴え、 現在、 2万5000筆を超えました。
また、原告団手記集『私達の決断』を原告自らが編集し完成、発売しました。
もうすぐ2000部完売です。 (後ろのブースで販売中です。ぜひ、お買い求めください!)
○そして、 9月29日の結審。
福島県や神奈川、東京、名古屋など全国から応援に駆けつけてくださりありがとうございました。
本人尋問を終え、 これまでの道のりを再確認しながら今後続いていく訴訟団の皆さんと思いを共有しました。
◎秋には原告の園田さんが、スイスジュネーブの国連人権理事会において、避難者の権利を各国代表に訴えてまいりました。
翌月、オーストリア、ポルトガル、 ドイツ、メキシコから自主(的)避難者の支援策、年1ミリシーベルトの限度に戻すことなどの勧告が日本へ出されました。現在もこの東京にて、日本側へのロビーイングをしています。
○このように、 私たち京都訴訟団は、 皆さまと同様、 国と東電が風評被害と言いきる 「被ばく問題」 を司法に訴えてまいりました。
期日報告会では、 神奈川訴訟団の村田団長が神奈川県から足を運んでくださり長時間にわたり、原告へエールを送ってくださったこともありました。
こうした世界中からの幅広い支援と、多くの民意を取り込み、互いの訴訟団の連携を図りながら、本人尋問では全世帯原告が法廷に立ち、時には涙を流し、はっきりとそしてひるむことなく国と東電に対する 「断罪」 を強く訴えてまいりました。
原告のほとんどが自主避難者である京都訴訟団は、 「避難の権利」 の主張が認められるかどうかの重要な裁判であります。
3月15日。
私たちは、 京都地裁にて完全な勝利を勝ち取り、 今後も皆さまとともに共闘、 声を上げ、 この先の原発事故に対する終結に向け大きく邁進してまいりたいと思います。
10時開廷。
ぜひ、多くの皆様に駆けつけていただき、私たち京都訴訟団の「避難の権利」を勝ちとる瞬間を見届けていただきたいと思います。
ありがとうございました。
―その後、
弁護団田辺先生より、原告の堀江さん、 園田さん、 高木さん掲げる原告団バナーを背に発言
by shien_kyoto
| 2018-01-30 15:15
| イベント報告
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