2017年 10月 01日
京都訴訟第31回期日(結審)の報告です! |
支援する会事務局の上野です。
昨日の京都訴訟第31回期日(結審)の報告です。
結審とあって、支援者や各地の原告・弁護士の方であふれ、多数の報道陣が来ていたこともあり、150部用意したプレゼン資料がなくなりました。第3次提訴以来のデモ行進を行ない、ホールに入った時に一斉に沸き起こった盛大な拍手に、原告の堀江さんは「とても嬉しく、こんなにたくさんの方に支えられているのだとしみじみ思いました」と述べています。
◆法廷
法廷でも最初の3分間静止画像が撮影され、夕方のカンテレ(8チャンネル)で放映されました。この様子は、
https://www.ktv.jp/news/index.html を開いて、「前日のニュースを読む」をクリックし、「福島第一原発事故で避難、京都訴訟が結審」から観ることができます。(今はもう見られないと思います)
法廷では、原告側が最終弁論をを行ないました。最初に川中宏弁護団長が「本件訴訟の審理を終えるにあたって」として弁護団としての思いを述べました。その内容を大胆に要約すれば、提訴の10日前にIOC総会で安倍首相が述べた「状況は統御されています」という虚偽の発言は今なお官邸のホームページに載せられており、この嘘を押し通すのが国の基本方針と言わざるを得ない。司法もこれまでは国策の原発推進を側面から支援してきた。原告たちは、いまや見捨てられようとしているが、原告の要求は幸福追求権が保障されている憲法下(憲法13条)では、当たり前の要求であり権利である。裁判所は原告らの思いを受け止める「希望の裁判所」であって欲しい、というものでした。
次に森田基彦弁護士が責任論(津波に関する過失)について述べました。その内容は、2002年に土木学会が策定した「津波評価技術」は、ある地震が起こった場合に、ある地点でどのくらいの水位の津波が生じるかを計算する手法のことだが、そこでは地震に関する新しい知見が生じた場合には、津波水位の再計算を行なうことが予定されていた。同年に国の機関である地震調査研究推進本部が公表した「三陸沖から房総沖にかけての地震活動の長期評価について」と題する報告書では、プレート間地震の発生確率は今後30年以内に20%程度、今後50年以内に30%程度と推定していた。2008年3月、東電設計(株)は東電に対し、明治三陸沖地震規模の地震が福島県沖で発生した場合、原発敷地を超える津波が到来し、4号機のタービン建屋では2メートルを超える浸水が予測されると報告した。この解析結果は2002年の時点で知り得たものであり、予見可能だった。政府事故調が提示した施設の開口部や電気品室を水密化したり、設備を高所化する浸水被害回避の方法、あるいは失敗学会が提示した代替設備の準備、手順のマニュアル化などは短期間で実施可能だった。伊方原発に関する最高裁判決は、国に設置許可の段階で災害が万が一にも起こらないようにすることを求めている。国には規制権限行使(東電に結果回避を義務付ける)の責任があった、というものでした。
高木野衣弁護士は避難の社会的相当性について述べました。その内容は、社会規範である「国内法」は年間1㍉Svを超える被ばくから公衆を徹底的に保護している。年間1㍉Svを超える線量の地点を含む生活圏からの避難は社会的に相当である。また、空間線量にかかわらず、立入制限や飲食禁止とされる管理区域同様の場所、核燃料物質によって汚染されたものとして取り扱わなければならない土壌が近くに存在する場所からの避難にも相当性がある。避難者は年間1㍉Sv未満になった場合にのみ帰還を推奨されるべきであるとする国連特別報告者の報告もある。今なお避難を継続していることも社会的に相当である。事故は収束せず放射能汚染は続いており、甲状腺がんの多発も指摘されている。近年の疫学調査の多くで100㍉Sv以下の低線量でも健康影響は線量に比例することが明らかになっている。被災地の国民だけが、容認不可とされる線量以上の場所や管理区域、汚染された土壌のそばでくらさなければならないのか。避難という選択は何ら不合理ではなく相当であったと判示していただきたい、というものでした。
白土哲也弁護士は損害総論について述べました。その内容は、健康に対する強い不安は原告に共通する。専門家の知見が分かれる中、原告らが健康被害に不安を持つことは決して不合理なものではない。区域外避難者は行政による実態を無視した区域設定により、行政の援助や賠償の面で不当な差別を受けている。避難元に家族を残した世帯では、双方が家族一緒に暮らせないつらさを味わい、二重生活の経済負担で家計を圧迫されている。離婚を含め家族関係にも深刻な影を落としている。世帯全員で避難している世帯も、就労や人間関係で苦労を強いられている。障がい者や高齢者はさらに大きな負担を強いられる。帰還を選択した原告も、経済的な生活の再建やいったん断ち切られた人間関係の修復は困難な上、健康不安は避難中よりも深刻だ。損害の算定にあたっては、被告自身が策定に関わった最低基準を下回ることのないよう認定すべきだ。
次に原告の共同代表2人による意見陳述が行なわれました。
萩原ゆきみさんは、汚染が一番低い避難元でも低レベル放射性廃棄物(100ベクレル/Kg以上)の範疇に入る程の汚染された土地で、本来なら黄色いドラム缶に入れて半減期の10倍の期間保管管理されなくてはいけない。そんな土地で生活し、子育てするなんてあってはならないことだとして、裁判所に対して避難の正当性を認めてほしいと訴えました。また、提訴したことで多くの人に被害の実相を知って頂けた、と裁判に携わった弁護団や関わったすべての人に感謝すると一方、被告国と東電に対しては謝罪を求めました。
福島敦子さんは、今夏戻ってきた南相馬市で見た情景について、かつては鮭がのぼっていた請戸川の川岸にフレコンバックが積みあがり、破れたフレコンバックkらは雑草が生えていると紹介。そんな場所へ帰れという国の姿勢について、「国民の知る権利をも統制し、目に見えるものはなるべく『見えないように』仕向けていく。目に見えないものは『見えないのだからなかったものであるように』仕向けてく」と痛烈に批判し、被告席に座る人もその家族も、みんなが被ばくしてはならない権利を持っている。原告はこの権利を訴え続けてきたし、「命」の問題として訴えるとのべ、最後に裁判官に対して、勇気をもって後世に明るい展望を持てる判断を下してほしいと述べました。
最後に浅見裁判長は「双方の真摯な問いかけに答えを出していきたい。協力を得て今日まで来られたことに感謝したい」と異例の発言をし、4年間にわたる京都訴訟を締めくくりました。そして、さらに驚いたことに突然、判決日の変更を申し渡したのです。これまで3月29日(木)とされていたのを3月15日(木)に前倒しすることになりました。その理由はわかりませんが、国側が人事異動を理由に前倒しを申し出たようです。
◆記者会見&報告集会
閉廷後、場所を弁護士会館の地階大ホールで記者会見&報告集会を開催しました。壇上に弁護団と原告団が並び、最前列に記者席を設けました。会場に来た原告は20名余り、そのうち壇上に登った原告は16名。「一人見たことない人がいるなあ」と思って、あとで隣にいた堀江さんに聞いたところ、その人は原告ではなかったそうです。なぜ壇上に座りにいったんでしょうね?謎です。会場は座れない支援者が後ろの方にびっしり。僕は、原告の手記集『私たちの決断』の予約販売を引き受けて下さった方への受け渡しや新たな販売のコーナーにいたり、写真を撮ったりで忙しく、発言についてはほとんど聞き取れていませんので、新聞を見てください。
記者会見が終わったあと、弁護団から先日の千葉訴訟判決の評価について報告があり、全国連事務局長の佐藤三男さんや東京訴訟原告団長の鴨下祐也さん、かながわ訴訟原告団長の村田弘さん、関西訴訟原告、ひょうご訴訟原告から連帯の挨拶がありました。
三次会で鴨下さんが「壇上に原告がずらっと並んだのを見てびっくりしました。東京では、あれだけの人が顔をさらすことは考えられないです」と言っておられました。僕もずらっと並んだ原告団を見て感動を覚えました。
◆ラストスパート集会(レセプション)
午後からはキャンパスプラザに場所を移して、「提訴から4年! みんなの思いを集めて勝利をめざそう ラストスパート集会」という名のレセプションを開催しました。ほぼ定員の80名ほどが参加し、京都原告団が作成した「京都訴訟の歩み」というスライドを見ながら、その場面に関係した原告や事務局スタッフなどが1分間で説明したりその時の思いを語りました。12名の原告が登場しました。初めてに企画でしたが、みんなが結構真剣に見てくれ、反応もあり、好評でした。
こう書いているうちに原告の福島さんと堀江さんから報告が流れているので、この辺でやめて写真を添付して流すことにします。みなさま、4年間の法廷闘争へのご支援、本当にありがとうございました。結審で、とりあえずの一区切りですが、これからもできることは公正判決署名と『私たちの決断』の販売です。引き続きご協力をお願いします。
昨日の京都訴訟第31回期日(結審)の報告です。
結審とあって、支援者や各地の原告・弁護士の方であふれ、多数の報道陣が来ていたこともあり、150部用意したプレゼン資料がなくなりました。第3次提訴以来のデモ行進を行ない、ホールに入った時に一斉に沸き起こった盛大な拍手に、原告の堀江さんは「とても嬉しく、こんなにたくさんの方に支えられているのだとしみじみ思いました」と述べています。
◆法廷
法廷でも最初の3分間静止画像が撮影され、夕方のカンテレ(8チャンネル)で放映されました。この様子は、
https://www.ktv.jp/news/index.html を開いて、「前日のニュースを読む」をクリックし、「福島第一原発事故で避難、京都訴訟が結審」から観ることができます。(今はもう見られないと思います)
法廷では、原告側が最終弁論をを行ないました。最初に川中宏弁護団長が「本件訴訟の審理を終えるにあたって」として弁護団としての思いを述べました。その内容を大胆に要約すれば、提訴の10日前にIOC総会で安倍首相が述べた「状況は統御されています」という虚偽の発言は今なお官邸のホームページに載せられており、この嘘を押し通すのが国の基本方針と言わざるを得ない。司法もこれまでは国策の原発推進を側面から支援してきた。原告たちは、いまや見捨てられようとしているが、原告の要求は幸福追求権が保障されている憲法下(憲法13条)では、当たり前の要求であり権利である。裁判所は原告らの思いを受け止める「希望の裁判所」であって欲しい、というものでした。
次に森田基彦弁護士が責任論(津波に関する過失)について述べました。その内容は、2002年に土木学会が策定した「津波評価技術」は、ある地震が起こった場合に、ある地点でどのくらいの水位の津波が生じるかを計算する手法のことだが、そこでは地震に関する新しい知見が生じた場合には、津波水位の再計算を行なうことが予定されていた。同年に国の機関である地震調査研究推進本部が公表した「三陸沖から房総沖にかけての地震活動の長期評価について」と題する報告書では、プレート間地震の発生確率は今後30年以内に20%程度、今後50年以内に30%程度と推定していた。2008年3月、東電設計(株)は東電に対し、明治三陸沖地震規模の地震が福島県沖で発生した場合、原発敷地を超える津波が到来し、4号機のタービン建屋では2メートルを超える浸水が予測されると報告した。この解析結果は2002年の時点で知り得たものであり、予見可能だった。政府事故調が提示した施設の開口部や電気品室を水密化したり、設備を高所化する浸水被害回避の方法、あるいは失敗学会が提示した代替設備の準備、手順のマニュアル化などは短期間で実施可能だった。伊方原発に関する最高裁判決は、国に設置許可の段階で災害が万が一にも起こらないようにすることを求めている。国には規制権限行使(東電に結果回避を義務付ける)の責任があった、というものでした。
高木野衣弁護士は避難の社会的相当性について述べました。その内容は、社会規範である「国内法」は年間1㍉Svを超える被ばくから公衆を徹底的に保護している。年間1㍉Svを超える線量の地点を含む生活圏からの避難は社会的に相当である。また、空間線量にかかわらず、立入制限や飲食禁止とされる管理区域同様の場所、核燃料物質によって汚染されたものとして取り扱わなければならない土壌が近くに存在する場所からの避難にも相当性がある。避難者は年間1㍉Sv未満になった場合にのみ帰還を推奨されるべきであるとする国連特別報告者の報告もある。今なお避難を継続していることも社会的に相当である。事故は収束せず放射能汚染は続いており、甲状腺がんの多発も指摘されている。近年の疫学調査の多くで100㍉Sv以下の低線量でも健康影響は線量に比例することが明らかになっている。被災地の国民だけが、容認不可とされる線量以上の場所や管理区域、汚染された土壌のそばでくらさなければならないのか。避難という選択は何ら不合理ではなく相当であったと判示していただきたい、というものでした。
白土哲也弁護士は損害総論について述べました。その内容は、健康に対する強い不安は原告に共通する。専門家の知見が分かれる中、原告らが健康被害に不安を持つことは決して不合理なものではない。区域外避難者は行政による実態を無視した区域設定により、行政の援助や賠償の面で不当な差別を受けている。避難元に家族を残した世帯では、双方が家族一緒に暮らせないつらさを味わい、二重生活の経済負担で家計を圧迫されている。離婚を含め家族関係にも深刻な影を落としている。世帯全員で避難している世帯も、就労や人間関係で苦労を強いられている。障がい者や高齢者はさらに大きな負担を強いられる。帰還を選択した原告も、経済的な生活の再建やいったん断ち切られた人間関係の修復は困難な上、健康不安は避難中よりも深刻だ。損害の算定にあたっては、被告自身が策定に関わった最低基準を下回ることのないよう認定すべきだ。
次に原告の共同代表2人による意見陳述が行なわれました。
萩原ゆきみさんは、汚染が一番低い避難元でも低レベル放射性廃棄物(100ベクレル/Kg以上)の範疇に入る程の汚染された土地で、本来なら黄色いドラム缶に入れて半減期の10倍の期間保管管理されなくてはいけない。そんな土地で生活し、子育てするなんてあってはならないことだとして、裁判所に対して避難の正当性を認めてほしいと訴えました。また、提訴したことで多くの人に被害の実相を知って頂けた、と裁判に携わった弁護団や関わったすべての人に感謝すると一方、被告国と東電に対しては謝罪を求めました。
福島敦子さんは、今夏戻ってきた南相馬市で見た情景について、かつては鮭がのぼっていた請戸川の川岸にフレコンバックが積みあがり、破れたフレコンバックkらは雑草が生えていると紹介。そんな場所へ帰れという国の姿勢について、「国民の知る権利をも統制し、目に見えるものはなるべく『見えないように』仕向けていく。目に見えないものは『見えないのだからなかったものであるように』仕向けてく」と痛烈に批判し、被告席に座る人もその家族も、みんなが被ばくしてはならない権利を持っている。原告はこの権利を訴え続けてきたし、「命」の問題として訴えるとのべ、最後に裁判官に対して、勇気をもって後世に明るい展望を持てる判断を下してほしいと述べました。
最後に浅見裁判長は「双方の真摯な問いかけに答えを出していきたい。協力を得て今日まで来られたことに感謝したい」と異例の発言をし、4年間にわたる京都訴訟を締めくくりました。そして、さらに驚いたことに突然、判決日の変更を申し渡したのです。これまで3月29日(木)とされていたのを3月15日(木)に前倒しすることになりました。その理由はわかりませんが、国側が人事異動を理由に前倒しを申し出たようです。
◆記者会見&報告集会
閉廷後、場所を弁護士会館の地階大ホールで記者会見&報告集会を開催しました。壇上に弁護団と原告団が並び、最前列に記者席を設けました。会場に来た原告は20名余り、そのうち壇上に登った原告は16名。「一人見たことない人がいるなあ」と思って、あとで隣にいた堀江さんに聞いたところ、その人は原告ではなかったそうです。なぜ壇上に座りにいったんでしょうね?謎です。会場は座れない支援者が後ろの方にびっしり。僕は、原告の手記集『私たちの決断』の予約販売を引き受けて下さった方への受け渡しや新たな販売のコーナーにいたり、写真を撮ったりで忙しく、発言についてはほとんど聞き取れていませんので、新聞を見てください。
記者会見が終わったあと、弁護団から先日の千葉訴訟判決の評価について報告があり、全国連事務局長の佐藤三男さんや東京訴訟原告団長の鴨下祐也さん、かながわ訴訟原告団長の村田弘さん、関西訴訟原告、ひょうご訴訟原告から連帯の挨拶がありました。
三次会で鴨下さんが「壇上に原告がずらっと並んだのを見てびっくりしました。東京では、あれだけの人が顔をさらすことは考えられないです」と言っておられました。僕もずらっと並んだ原告団を見て感動を覚えました。
◆ラストスパート集会(レセプション)
こう書いているうちに原告の福島さんと堀江さんから報告が流れているので、この辺でやめて写真を添付して流すことにします。みなさま、4年間の法廷闘争へのご支援、本当にありがとうございました。結審で、とりあえずの一区切りですが、これからもできることは公正判決署名と『私たちの決断』の販売です。引き続きご協力をお願いします。
by shien_kyoto
| 2017-10-01 13:02
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